起 原文
舎己毋處其疑
處其疑 即所舎之志多愧矣
施人毋責其報
責其報 併所施之心倶非矣
己を捨ててその疑いを処することなかれ
その疑いを処すればすなわち捨つる所の志多く愧づ
人に施してはその報を責ることなかれ
その報を責れば捨つる所の心を併せてともに非なり
愧づ(はづ)、はじる
承 意訳
自分の利益を捨てて人のために何かをするに当たっては、それが自分のためになるであろうかと疑ってはいけません
そのような疑いの心が少しでもあったなら献身の志は恥じる心になってしまいます
人に何か施しをするに当たっては、それに対して見返りを要求してはいけません
見返りを要求する心が生じるや否や、施しの心自体が理不尽なものになってしまいます
転 別視点
誰かから何か良いことをされたとした場合に、その人の心に悪い下心のような「裏」があったとしたら、素直に喜べないどころかかえって不愉快になります。
この気持ちは誰もが理解しやすいです。
これを”良いことをする側”から述べたのがこの段落です。
何か良いことをしても、下心が少しでも現れたならば全ては台無しになります。だから、何か良い行いをするときは純粋な気持ちで相手のために実行するようにします。
結 まとめ
善行をするときは、純粋な気持ちで行います。見返り、自分への利益などの下心はダメです!