起 原文
泛駕之馬 可就駆馳
躍冶之金 終歸型範
只一優游不振 便終身無個進歩
白沙云 為人多病未足羞
一生無病是吾憂
真確論也
泛駕の馬は駆馳に就くべく
躍冶の金は終に型範に帰す
ただ一優游して振るはざれば、すなわち終身個の進歩なし
白沙いはく、人となって多病なるは、未だ恥づるに足らず
一生病無きは是れ吾が憂なりと
真に確論なり
泛駕(ほうが)の馬、車を上下に動かしてひっくり返すような暴れ馬;躍冶(やくや)、踊りだすような取り扱いにやっかいな金;優游(ゆうゆう)、のんびりと心のままにするさまのこと;白沙(はくさ)、明中期の学者で石斎(せきさい)と号し、一代の人物と言われた;確論(かくろん)、根拠に基づく確かな議論
承 意訳
とんでもない暴れ馬であってもやがては自由自在に操ることができます
扱いにくい鋼であっても最終的には鋳型に入れて道具にすることができます
ただ一生悠々とノラリクラリと何もしない者は、いつまでも進歩のない人間のままです
昔白沙が言いました、「人となって病気がちなのは決して恥じることではありませんが、一生病気に罹らないことは却って憂いとなります」。
確かにその通りです
転 別視点
なんの長所もなく、かと言って短所もなく、ノラリクラリと生きている者は、どうも進歩がないことが多いように感じられます。でも、病気がちの者は、劣悪な環境の中で何ができるのかを考え、乗り越えようとする姿勢がみられることが多く、進歩の可能性を秘めていると言えます。
平凡で何も考えない人生よりは、波乱万丈で向上心を持った生き方の方が楽しく、素晴らしい人生になるという考えです。洪自誠さんは中庸の道を主張することが多いですが、この段落ではのほほんと過ごして時間を無駄に過ごすことは良くないと警告しています。
病気を含めて、劣悪な環境は自分を成長させるカギとなります。
結 まとめ
健康であっても、リクラリと生きていてはいけません。病気がちの者は、劣悪な環境の中で何ができるのかを考え、乗り越えようとする姿勢により、進歩の可能性を秘めていると言えます。