前集052 善意は無心で。下心は善意を無駄にする。

前集041-060

起 原文

施恩者 内不見己 外不見人 即斗粟可當萬鐘之惠
利物者 計己之施 責人之報 雖百鎰難成一文之㓛

恩を施す者は、内、己を見ず、外、人を見ざれば、則ち斗粟も万鐘の恵みに当るべし
物を利する者は、己の施しを計り、人の報いを責めなば、百鎰といえども一文の功を成し難し

斗粟(とぞく)、「斗」は容量の単位で、一斗の粟ということから、少しの食べ物のたとえ;万鐘(ばんしょう)、莫大な財産のこと;百鎰(ひゃくいつ)、鎰は二十両、百鎰は大金の意味

承 意訳

真に恩恵を施そうとする人は、心の中(内)では施すという気持ちはありません。他人(外)には自分が施しをしているということさえ忘れるくらい純粋な考えて施しをしたのであれば、少しの食べ物であっても大金に値します。

真に他人に利益を与えようとする人は、打算的な考えを持ったり、その人に報酬を要求するような心があれば、それが途方もない大金であったとしても銭一文にさえ値しません。

転 別視点

何かプレゼントをもらった時に、純粋に相手からの好意であれば、もらった側も純粋に喜べます。一方でそのプレゼントに何か裏があって、貰うことによって何か仕事が増えるようなときは全く喜べないどころか、かえって相手に嫌気がさします。

洪自誠さんが言っていることは、相手の立場になって考えるとより理解しやすいです。

結 まとめ

他人に何か恩恵を施そうとする際は、見返りや打算的な考えをもってはいけません。そういう考えを持った瞬間に恩恵は全く意味を持たなくなります。

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