起 原文
肝受病 則目不能視 腎受病 則耳不能聴
病受於人所不見 必發於人所共見
故君子 欲無得罪於昭昭 先無得罪於冥冥
肝病を受ければ、則ち目視ること能わず、腎病を受ければ、則ち耳聴くを能わず
病は人の見ざる所を受けて、必ず人の共に見る所に発す
故に君子は、罪を昭々に得ること無からんと欲せば、先ず罪を冥々に得ること無かれ
昭昭(しょうしょう)、明らかなこと;冥冥(めいめい)、暗いこと、昭昭の対義語
承 意訳
肝臓が病気になれば、目がその流れで調子が悪くなり見えなくあります。腎臓が病気になれば、耳がとの流れで聴こえなくなります。
病気というものは人には見えない身体の内部に生じて、必ず人に見える身体の外部に発現してくるものです。
故に君子たるものは、これと同様に明白なところに罪を得ないようにと考えるときは、まずは人目につかないところで罪を得ないように心がけないといけません。
転 別視点
趣旨は、目に見える部分だけに注意を払っていては不十分で、病気や邪心は目に見えないところから人間に取り込まれていくので、目に見えないところにこそ注意を向けるべき、という意味です。
本当に大切なものは、目に見えない(星の王子さま)と言います。
肝臓の病気と目疾患、腎臓の病気と耳疾患の関係については、検索しました。文章中では一例として提示しているので、遺伝性の病気や珍しい病気ではないと思います。典型的な例だとすると、感染症の一種なのだろうと想像しました。そもそも400年前の中国に採血での肝機能障害、腎機能障害という概念はないと思われますので、肝機能障害は黄疸、腎機能障害は浮腫なのでしょうか。黄疸がでるようになると白目が黄色くなり、浮腫が全身に出現するような感染症になると難聴を合併することがある??
現代の西洋医学では、肝臓と目、腎臓と耳の関連はよくわかりません。
一方で、中国独特の医学・中医学では、肝臓と目、腎臓と耳の関連が随分昔から想定されています。洪自誠さんももちろんこちらを参考にしたのだと思われます。
結 まとめ
君子たるものは、清廉潔白に生きていこうとするならば、目に見える部分だけに注意を払っていては不十分で、病気や邪心は目に見えないところから人間に取り込まれていくので、目に見えないところにこそ注意を向けるべきです。