起 原文
放得㓛名富貴之心下 便可脱凡
放得道徳仁義之心下 纔可入聖
功名富貴の心を放ち得下して、すなわち凡を脱すべし
道徳仁義の心を放ち得下して、わずかに聖に入るべし
放ち得下して、外に放下して仕舞うの意味
承 意訳
功名だの富貴だのと言って囚われている間は、凡夫たるを免れませんが、この功名富貴の心を捨て去った人間になれば、始めて凡俗の境界を脱し得たと言えます。
道徳だの仁義だのと言って囚われている間は、達観した人とは言えませんが、この道徳仁義を実践しようとする心を捨て去った人間になれば、始めて聖人の域に達したと言えます。
転 別視点
信じた道を生きていくためには、その道について「こうあるべき」と考えている時点ではまだまだ道は半ばです。「こうあるべき」と考えるまでもなく、実践できていることが本物という考えです。
スポーツ選手が、上達するために一つ一つのステップを考えながら、実践しているうちはまだまだ半人前で、知らず知らずに実践できて始めて一人前であることと同じ意味です。
結 まとめ
功名や富貴を心に思い浮かべている時点で凡人、道徳や仁義をと考えた時点で聖人には到達していません。自分の信じた道は、考えるまでもなく自然に実践できている状態となって初めて到達したと言えます。