起 原文
持身不可太皎潔
一切汚辱垢穢 要茹納得
與人不可太分明
一切善悪賢愚 要包容得
身を持するは、太だ皎潔なるべからず
一切の汚辱垢穢は、茹納し得んことを要す
人に与するは、太だ分明なるべからず
一切の善悪賢愚は、包容し得んことを要す
皎潔(こうけつ)、白く清らかで汚れのないさま;汚辱垢穢(おじょくこうあい)、汚い、辱め、あかと穢れ;茹納(じょうのう)、ゆでて、まとめて飲む;分明、はっきりとさせること
承 意訳
生活をしっかりと保つには、極端に潔癖ではいけません
一切の汚く穢れたものを、潔白なものと一緒にまとめて飲み込む必要があります
人と一緒に仕事をするときは、極端に善悪を区別してはいけません
一切の善悪、賢愚は、合わせて受け入れる必要があります
転 別視点
極端に潔癖な生活を送るように努めると、疲れてしまうし、世間離れしてしまい、結局は世の中の役に立ちません。潔癖な部分と穢れた部分をちゃんと認識して、うまく使い分けることが重要です。
人間は、初めから終わりまで善人の人はいません。同じく、初めから終わりまで悪人もいません。全ての人の中には善の部分と悪の部分の両者が存在します。誰かと一緒に仕事をするときは、その人全てを認めて、受け入れる必要があります。
結 まとめ
何か目的を達しようとするときは、その目的部分だけを注視するのではなく、その対極の部分も理解しながら、全体を俯瞰する広い視野が必要です。そして、全てを受け入れる度量が必要です。