起 原文
水不波則自定 鑑不翳則自明
故心無可清
去其混之者而清自現
樂不必尋
去其苦之者而樂自在
水波たたざれば則ち自から定まり、鑑は翳らざれば、おのずから明らかなり
故に心は清くすべき無し
其の之を混らす者を去って、清自ずから現わる
楽しみは必ずしも尋ねず
其の之を苦しむる者を去って、楽しみ自ずから在す
翳る、くもる
承 意訳
水は波が立たなければ自然と透明で、鏡は曇らなければ自然とそのままを写します
それ故、心は清くしようとする必要はありません
心を濁らすものを去ると、清い心が現れてきます
楽しみは求める必要はありません
苦しみを取り除けば、自然と楽しさが現れてきます
転 別視点
無理に清い心になろうと思ったり、無理に楽しく過ごそうと思ったりする必要はありません。雑念を取り除き、嫌なこと避けるだけで、清い心と楽しさがやってきます。元々そのように心は存在します。
天国に生きているような考え方です。性善説のど真ん中ならば、このような考え方が本道なのだと思いますが・・・、と感じた私やあなたはまだまだ雑念に囚われ過ぎているのでしょう。
ありのままを楽しむ、”日々是好日”と言った意味も含まれているようです。
結 まとめ
日々の雑念を取り除き、嫌なこと避けるだけで、清い心と楽しさが自然と沸き上がってきます。
2000年ころは生活に余裕がなくて、何事にも一生懸命生きていました。そんな意味でも雑念はなく、仕事にも前向きだったこともあり、楽しかった記憶があります。そんな中で妻と子供たちが、クリスマスケーキを作ってくれました。とても幸せだった日々を思い出します!