起 原文
士君子 持身不可輕
輕則物能撓我 而無悠閒鎮定之趣
用意不可重
重則我為物泥 而無瀟洒活溌之機
士君子、身を持するには軽々しくすべからず
軽々しくすれば則ち物よく我れを撓めて、悠閒鎮定の趣なし
意を用いるには重々しくすべからず
重々しくすれば則ち我れ物の為に泥みて、瀟洒活溌の機なし
士君子、学問、人格ともにすぐれた人。徳行の高い人;撓(たわ)める、事実を偽る;悠閒鎮定(ゆうかんちんてい)、ゆったりと心のどか、心が落ち着いて慌てないこと;泥(なず)む、気にしてそれが心から去らない。拘泥する;瀟洒活溌(せいしゃくかっぱつ)、さっぱりとすること、活発自在な働き;機、機用、働きの出るきっかけ
承 意訳
人格の優れた士君子たる者は、その身を保持するために軽々しい行動をとってはいけません
軽率な行動をとれば、外からの圧力に屈服して我を偽り、ゆったりとした趣がなくなります
しかしながら、意(こころ)を用いるには重々しくしてはいけません
重々しくしたならば、物事に拘り過ぎてしまい、さっぱりとした活発さがなくなり、自由な活動ができなくなります
転 別視点
心の中は自由自在に活発に活動しますが、実際の行動は慎重に慎重を重ねたうえで行動することが推奨されています。
行動や発言、すなわち自分から外にoutputする要素に関しては、よくよく考えてからの行動・発言でないと、自分の言動に矛盾が生じ、足元をすくわれます。
一方で心の中の思考回路は、あらゆる可能性を考慮し、些細な事象も検討に値するのかに注意を払います。自分の行動を決定する情報となるinputは、幅広く柔軟に収集し解釈します。それが、指導者として必要な素養の一つと言えます。
結 まとめ
心の中は柔軟に自由自在、行動は熟考の末の至極のoutputに。