起 原文
天理路上甚寛 稍游心 胸中便覺廣大宏朗
人欲路上甚窄 纔寄迹 眼前倶是荊棘泥塗
天理路上は甚だ寛し、やや心を遊ばせば胸中すなわち覚ゆ、広大宏朗なることを
人欲路上は甚だ狭し、わづかに跡を寄せば眼前ともに是れ荊棘泥塗なり
広大宏朗(こうだいこうろう)、広く伸び伸びとした感覚;荊棘泥塗(けいきょくでいと)、いばらや、泥の道
承 意訳
天の理論に沿った正しい道は広く、心に余裕を持って遊ばせても、広く朗らかな境地を胸の中に感じることができます。
私利私欲の道は狭く、少しでも踏み入れたが最後、そこにはいばらや泥の道があり、抜け出すことができません。
転 別視点
道徳的に正しい道を歩んでいたのならば、多少気を緩めても、正しい道を歩み続けます。しかしながら、私利私欲の心を持って歩んでいたのならば、少しでも気を緩めると深い谷間に落ちていきます。
結局は、正しい道の周囲には正しい道が広がり、誤った道の周囲には誤った道が広がります。根本の発想が人欲に基づいた場合は、どんなに器用に世渡りをしたとしても、最終的にはうまく行きません。初心が大切です。
結 まとめ
何か行動を起こすときは、私利私欲の発想は捨て、世のため人のためにはどうするべきかをまず考えて行動しましょう。それが真理の道です。