起 原文
纏脱只在自心
心了 則屠肆糟廛 居然浄土
不然 縦一琴一鶴 一花一卉 嗜好雖清 魔障終在
語云 能休塵境為真境 未了僧家是俗家
信夫
纏脱は只自心に在り
心了すれば、屠肆糟廛も居然たる浄土なり
然らざれば、縦い一琴一鶴、一花一卉、嗜好清しと雖も、魔障終に在り
語に云う、「能く休すれば塵境も真境と為り、未だ了せざれば僧家も是れ俗家なり」
信なるかな
纏脱(てんだつ)、纏は、まとい。束縛と解放;心了(しんりょう)、悟ること;屠肆糟廛(とし・そうてん)、肉屋と酒かすの店。屠、家畜を殺してその肉をとる。肆、品物を並べた店。糟、酒かす。廛、店舗;魔障(ましょう)、魔性の障害、悟道の障害;
承 意訳
自分が束縛されているか、解放されているかを感じるのは、自分の心持ち次第です
悟りを開いたならば、血なまぐさい肉屋でも酒粕の臭いのする酒屋でも、そのままの状態で極楽浄土になります
悟りの心がなければ、琴、一羽の鶴、浮世を離れた草花を好んだとしても、悟りの障害となるものは残ってしまいます
(北宗の儒学者である邵堯夫の詩にある)言葉にありますが、「悟りを開いたならば、塵まみれの環境も理想の郷となり、悟りがなければ、僧侶であっても俗人です」
その通り!
転 別視点
全ては心の持ちよう次第、ということです
同様の内容は、菜根譚の中で、何度がでてきます。いろいろな場面でやっぱり心の持ちよう次第と洪自誠さんも感じたということでしょう。
結 まとめ
見るもの、感じるもの、全ては心の持ちよう次第で変化します